かんがえすぎたこと

かんじたり、かんがえたりしたこと。

ちかごろ

帰りたい。家でもそう思う。いつも帰りたいと言っている。
いつから長く働くことが偉いというイデオロギーが出来上がったのだろう。活動したくない。何もしたくない。
頭は暇なので、毎日言語化という行為を頭の中で行って生きている。概念そのものがもやもやとしていたり、例えで済ませてしまうような案件に言語を当てはめるという行為だ。今日も……もう忘れてしまった。物忘れが著しい。
最近具合が悪い。毎日お腹をわるくしているし、朝食が気持ち悪くて入らない。食欲もあまりない。サイゼの1番安いミートドリアくらいの量が多すぎて食べられない程だ。しかも今日は死にたさの総量がいつにも増して多い。肉体を捨てたい。何者にもなりたくないしたまにしか活動したくない。今は休みたい。
いつ死んでもいいと思っていると、何をするにもハードルが下がる。芥川を読んだ時も感じたことだが、死はあまりにもfashionate me every time.
しかし、わたしは死んだら楽になれるとは思っていない。死んだらもっとつらいことがあるに決まっている。無、というつらいこと。何も生まれない。何も生み出さない。観測ができない。利益もない。それでもわたしは終わらせたい。

ゲスの極み乙女「crying March」