かんがえすぎたこと

かんじたり、かんがえたりしたこと。

四季

春は苦手だ。次第に暖かくなると脳だけでなく細胞まで溶けてしまいそうだから。

夏は嫌いだ。暑さと太陽の炙熱で浮かれ気分の儚さが一気にお祭り騒ぎへと昇華されてしまう。

秋はマシだ。夏に忘れてしまった肌寒さを思い出すと本当の自分に戻れる気がする。

冬が好きだ。寒いとはっきり感じられる空気に晒されると覚醒できる。

しんどい、ということば

わたしはすぐにしんどくなる。満員電車に乗ったとき、朝から外に出て活動した時、何かを自分が期待された時、ひどい時だと好きなはずの動画を見ていてもしんどくなる。つまり何をしていてもしんどいのだ。

明日から学校というだけでもうしんどい。というか休みがあるから平日がしんどくなるんだろうな、とも思う。毎日出校できれば休日でリズムが狂わずにすみ、しんどくならずにすむのだろうな…しんどくない状態があるからしんどさを感じるわけであって、ずっとしんどかったらそれはもうしんどくないのではないか。などという謎理論を展開してこの話は終わる。

ゆるゆるいきたい

今日は朝から動いていたので帰ってからはしんどくて寝たりダメ人間パンを食べたりしていた。

ダメ人間パンはネットで見て、その呼称がなんとなくいじらしく感じてしまって買ってきてしまったものだ。

五日前にソーシャルゲームをなんとなく始めて、強いひとがフレンドになってくれたことはありがたいんだけれど、システムとか派手な演出がなんとなくしんどくてすぐやめてしまった。なんとなく始まることはなんとなく終わる。

今行ってる学校でのいろんなことに過剰反応してしまうことというか、すみませんとかすぐ言ってしまうことをやめたい。すぐすごく申し訳なくなってしまう。焦りすぎだし気張りすぎなのだと思う。早く早くと急かすは現代人だというが、わたしは健康ではないので、のんびりやりたい。ゆるゆる勉強したいと思う。

今日見に行った原付バイクで気に入ったものがあったのだが当初予算の2倍もするものでちょっと決めるのがしんどくて買わずに帰ってきた。最早、ただの交通手段だし走れば何でもいいやとか思っている。

ブログのこと

ずっと前に読んだ、『グレッグのダメ日記』って本で、お金持ちとか有名人になった時にインタビューを受けるのがめんどくさいから今のうちに本を書いておいて、実際にお金持ちとか有名人になったらそれを読んでもらう、という動機で日記を書く少年の話を読んだことがある。
お金持ちとか有名人になるつもりは無いけれど、久しぶりに会う友達とか、話をしなくてはならない人には、今の私の状態を知っておいてもらえるととても私が楽だし、その人達が他人のことにエネルギー使いたくないというなら読まなければよいので、ゆるい情報提示がよくてブログを始めた。Twitterだけだとどうしても詩的な表現・修辞に終始してしまって自分の実情を伝えることには向いていない、ともかんがえた。
同時にネットに自分の情報を提示することは、ポルノのようなものだと思った。先人達は本当に勇気があるなと思う。いつだって最初にやってみた勇気のあるひとが(field)を切り拓いてきたのだ。